2019年12月9日月曜日

"掲諦、掲諦、波羅掲諦"と唱えます

先週、近代美術館の「窓 展ー窓をめぐるアートと建築の旅」を見に行った時のことです。作品の中に「西京入国管理局」というインスタレーションがあり、もしかしてそこに入るには何か歌わされるかもしれないと予感し、その際は"掲諦、掲諦、波羅掲諦"(ぎゃあてい、ぎゃあてい、はらぎゃあてい)を唱えようと思っていました。(実際は、ニコッと笑って会釈するだけで済みましたが。)

この呪文みたいなフレーズは、般若心経の中の一部です。

年を重ねるに従って忘却力がいや増し、以前は普通に覚えていたことも羽が生えたように飛び去り、今や頭の中が伽藍堂になってしまった心地です。それなら、空っぽになったスペースに何か新しいことを詰められるのではないか。ふと思い立ち、今年の初めから朝お仏壇に向かった際に般若心経を唱え始めました。婆は決して信仰篤い仏教徒ではないのですが、力試し(!?)の積もりでした。



初めのうちはプリントしたものを読んでいたのですが、すぐに三分の二位は空で言えるようになりました。僅か20行ほどのものです。それが全文を覚えられないのです!後半の方を覚え始めると、前半の方を忘れてしまうのです。1行、2行、抜け落ちます。嗚呼悲しい。虚しい。(ん?これぞ般若心経の境地か?)

この1年を振り返ると、やり遂げられなかったこと、実現しなかったことが少なからずあります。それでも、"反省すれども後悔せず"をモットーに生きているので落ち込むことはありません。来年があるさ。再来年だって、と懲りずに再スタートできるのです。才能でしょうか?


0 件のコメント:

コメントを投稿